中島 敦

中島 敦 画像中島敦は現在の東京都新宿区に生まれた小説家ですが、2歳の時に祖母に預けられ、幼年期を今の久喜市で過ごしました。
幼い頃から漢学の知識が豊富で、中国の古典をモデルとした『山月記』(昭17)や『李陵』(昭18)などを次々と発表し、注目を集めました。
(写真下:わが西遊記[初版](左)・南島譚[初版])
名前
中島 敦(なかじま あつし)
生没年
明治42~昭和17(1909-1942)
埼玉とのかかわり
祖父・中島撫山は儒学者でもあり、久喜で漢学塾「幸魂教舎」を開いていました。祖父をはじめ、親戚に漢学者が多く、敦の中国文学に対する豊富な知識は、この家系による影響が大きかったと考えられます。
また、久喜に住む伯父・中島端蔵のことについて書いた『斗南先生』という作品も残しています。
主な作品
・狼疾記(昭11)
・山月記(昭17)
・光と風と夢(昭17)
・李陵(昭18)
関連サイト
神奈川近代文学館(横浜市中区)
神奈川ゆかりの作家として常設展示コーナーがあります。